鳳来山東照宮「少女の願いと怪僧の夢」 [奥三河(新城市)] [行楽ガイド]

徳川家光が造営を命じたとされる鳳来寺山東照宮 奥三河(新城市以北)
徳川家光が造営を命じたとされる鳳来寺山東照宮

■鳳来山東照宮

本殿(重要文化財)の入口に建つ唐門(同)

 「日本三大東照宮の1つ」がキャッチフレーズだが、確か岡崎市の滝山東照宮も「日本三大東照宮」と胸を張っていた覚えがあります。
 滝山東照宮だけではありません。群馬県の太田東照宮も埼玉県の仙波東照宮も東京の上野東照宮も「三大」に数えられることがあるそうです。
 そこで文化庁のデータベースで調べてみると国宝2件(栃木県の日光東照宮、静岡県の久能山東照宮)ほか、10件が重要文化財に指定されていることがわかりました。
 国宝2件は当然「三大」に入れるとしてあと1件はどこにしたらいいでしょうか。豪華さでは上野かもしれませんが滝山は徳川家康が生まれた岡崎城の北東に位置するという「地の利」があり、鳳来山は「松平広忠公と正室の於大の方が「子宝成就」を参拝したおかげで家康公がお生まれになった」という逸話があります。
 さて、どれを「三大」に加えるか、誰もが悩むところですね。ちなみに全国には130の東照宮が建てられたそうです。

慶安4年(1651年)の日付と遠江国横須賀藩主・本多利長の名が入った銅製灯籠
慶安4年(1651年)の日付と遠江国横須賀藩主・本多利長の名が入った銅製灯籠
享保20年(1751年)の日付と田原藩主・三宅康徳の名が入った石製灯籠
享保20年(1751年)の日付と田原藩主・三宅康徳の名が入った石製灯籠

 さて鳳来山に戻ると、こちらも大がかりな造営工事が行われ、その際浜松藩が造営の中心となり、周辺の三河国吉田藩、遠江国横須賀藩も協力しました。東照宮の拝殿前には、いまもこの三藩が献納した「慶安4年(1651年)」(東照宮完成の年)の日付の入った石製または銅製の灯籠が立っています。
 東照宮は江戸時代を通じて、神格化された家康公の影をまとい続けたようです。東照宮に通じる階段の入口には番所が置かれ、手形を持った特別な人しか参拝できなかったようです。
 明治以降は一般の参拝も可能になりましたが、今度は家康公の「武運長久」にあやかり、拝殿前の狛犬をさすれば、いくさに出向いても命を落とさないという「神話」が生まれました。
 いまも拝殿前にはさすられ続けてまんまるになってしまった「初代狛犬」と1941年に置き換えられたものの終戦までにわずか4年でおおかたすり減ってしまった「2代目狛犬」が、「神話」に導かれた人たちの思いを語っています。
 いま3代目狛犬は少しもすり減っていません。ずっとこの時代が続くといいですね。

いまも多くの人が参詣する鳳来寺山東照宮
いまも多くの人が参詣する鳳来寺山東照宮

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