■「牛の滝」伝説を考えてみた
「江戸時代、村に何があったのだろう?」

個人的に「伝説」が大好きです。とくに山や川など私たちの身近な自然を背景に動物たちが登場する物語には、つい立ち止まって考えてしまいます。今回は、豊川市東上町の「牛の滝」伝説について考えてみました。
伝説はこのように展開します。地元に住む六左衛門という村人が、この滝で鮎釣りをしていると突然滝つぼの中から牛が現れ突進してきました。
逃げ帰った六左衛門ですが、その夜高熱を出して死んでしまいます。村人はこの出来事を竜神様のたたり、現れた牛は竜神様の使いと考え、この滝のことを「牛の滝」と呼ぶようになったといいます。
この物語を読んだとき、大きな違和感を抱きました。九州・大分県竹田市の「黄牛(あめうし)の滝」伝説を知っていたからです。
竹田市の場合、同じく舞台は滝ですが、暴れるのは滝に住む竜神そのもので、旅の僧が子牛の頭を滝に投げ込むと竜神の暴挙は収まったとあります。
通常こうした物語は子孫へのメッセージとしてつくられるので必ず解決策を示します。しかし東上町の場合、それがありません。
そこで私はこう考えました。この物語は村の子孫のために紡いだのではなく、隣接する村への警告としてつくられたのではないだろうか、と。
滝のある境川は、当時宝飯郡東上村と八名郡川田村の間を流れていました。そこで私はこう仮説を立てました。この「牛の滝」の物語は川田村及びその周辺の村々に対して「鮎を捕りすぎるな」という警告ではなかったと。

ではなぜ牛なのか。こちらは簡単です。江戸時代の初期、この地方には尾張津島の御師が伝導に訪れ、多くの神社が牛頭天王を勧請したことがわかっています。
牛頭天王は巨大な力を持った仏教の守護神で、ひとたび怒れば疫病や水難で多くの人の命を奪うとされてました。
おそらく当時の村人は、豊川上流の八名郡が独占的に行っていた鮎の捕獲を止めさせようと、支流の境川を舞台にしたこの物語をつくったのでしょう。
そう考えると六左衛門の「六」も意味を帯びてきます。おそらく六道輪廻を示唆するための数字でしょう。
当時、鮎は貴重な蛋白源でした。「オレたちにも鮎の恵みを分けてくれ」―
そうした痛切な思いがこの物語の裏にある。そう思えてなりません。
