■於大の方と天海
「少女の願いと怪僧の夢」

少し前、愛知県東浦町の「於大の道の八重桜並木」を取材した折、徳川家康の生母「於大の方」が「子宝が授かりますように」と新城市の鳳来寺山に参詣したことを知りました。そこで於大の方の足跡をたどって鳳来寺山を訪ねてみると…
鳳来寺山東照宮のHPによると、同東照宮は徳川家光が「東照大権現縁起絵巻」を見て造営を決意したとあり、同絵巻には「松平広忠と於大の方が世継ぎの出来ないことを憂い、一緒に鳳来寺へ参籠され御祈願なされたと記されていた」と説明しています。
ここで「う~ん」とうなりました。於大の方は天文10年、13歳のとき松平広忠(当時15歳)と結婚し、14歳で長男の竹千代(後の徳川家康)を産んでいます。どう考えても順調に身ごもったとしか考えられません。
そうなると見方を変えてみた方がいいかもしれません。家光を感激させた「東照大権現縁起絵巻」はどのような絵巻でしょうか。
そこには家康、家忠、家光、三代の将軍顧問を務めた怪僧「天海和尚」が関わっていることを知りました。天海は比叡山延暦寺の出身で三代の政治、宗教政策に深く関わるとともに、信長に焼き討ちされて灰燼に帰した延暦寺の復興に努めました。「東照大権現」の神号を考え、家康の神格化に努めたのも天海です。
おそらく天海は、家光に対して祖父の神格化と戦国時代に経済的基礎を失った平安仏教(天台宗、真言宗)の再興を願い、その考えのもとで「子宝参拝」を記したのでしょう。
天海の思いは天に通じ、江戸時代を通じて鳳来寺山はにぎわい、東照宮はいまの「日本三大東照宮」として参詣者が絶えません。
さらに於大の方が参籠したとされる階段わきの医王院は参籠伝承の効果でしょう、明治以降次々と取り壊された僧坊のなかで、建物が残るのは松高院と医王院だけです。
個人的はこの医王院を立派に建て直し、広忠~家光を縦軸に於大の方、天海を横軸に据えた戦国後期、江戸前期100年の歴史博物館として運営してほしいと考えています。
もちろん展示品の目玉は新たに描く「東照大権現縁起絵巻~鳳来寺編~」です。

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■行楽ガイド
■基本情報
◆〒441-1693
愛知県新城市門谷鳳来寺4
◆駐車場あり(有料)
鳳来寺山パークウェイ駐車場(8:00~18:00)
(普通車550円/日・繁忙期1,100円/日)
◆トイレあり
◆外部サイト
https://www.horaisantoshogu.com/
◆お問合せ先
鳳来山東照宮社務所
[TEL 0536-35-1176]
◆2025年の情報であり、変更される場合があります。