■東大寺瓦窯跡(とうだいじがようせき・とうだいじかわらがまあと)

歴史の教科書によると現在の奈良東大寺の大仏殿は3代目。初代は奈良時代に聖武天皇の命で建てられ、2代目は鎌倉時代前期に平家の奈良焼き討ちからの復興により、3代目は江戸時代前期に戦国時代の兵火による焼失からの復興により建てられました。
田原市伊良湖町の東大寺瓦窯跡(がようせき・かわらがまあと)は、2代目大仏殿の屋根をふく瓦をつくり、実際に東大寺にまで運ばれていたことがわかっています。
ここで簡単に当時の状況を説明すると、まず東大寺復興の総監督にあたったのは幕府にも朝廷にも人脈を持っていた高僧の重源(ちょうげん)でした。
彼は61歳という年齢にもかかわらず大役を引き受け、金銭の工面のほか巨大な木材の入手、瓦を焼く工房の手配など全国各地に足を運び体制を整えました。
伊良湖との関わりは、伊勢神宮の高級神官とのつながりとされています。当時、伊良湖を含む渥美半島は伊勢神宮の所領であり、同神宮には渥美半島で焼かれた瓦が数多く入ってきていました。そのため品質の高い瓦を焼けることから重源は発注したようです。

これまでの発掘調査で現地では3基の窯跡が見つかっています。いずれも丘のふもとの斜面に沿って長さ12メートルほどの登り窯です。
ここで言い添えておきますと、2代目大仏殿に瓦を供給した最大の地域は岡山市東部の万富(まんとみ)地区です。万富瓦窯は15基の窯跡が見つかっており長さは5メートルほどです。
岡山―奈良は瀬戸内経由の水上輸送で約150キロ、一方の伊良湖―奈良は熊野灘経由で約300キロ。輸送コストは圧倒的に岡山が優莉にも関わらず伊良湖にも発注しました。なぜでしょう。神意のご加護を考えたのかも知れませんね。

両地で焼かれた軒丸瓦を比べてみると伊良湖の瓦は先端の円形部に「東」「大」「寺」「大」「仏」「殿」「瓦」の七文字が施されている一方、岡山の瓦は同じく七文字で構成されていますが、「瓦」の文字はなく、代わりに中央に盧舎那仏を表す梵字1文字が施されています。
なぜ伊良湖の瓦は梵字が施されていないのでしょうか。
ひょっとしたら伊勢神宮との関わりが深いので、なじみのない梵字を避けたのかも知れませんね。
伊良湖瓦窯跡は岡山と同じく国史跡に指定されています。場所は初立池の堤体の西側斜面。国道259号から約100メートル東にあります。見学も駐車も無料です。

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■基本情報
◆〒441-3624
愛知県田原市伊良湖町瓦場
◆入場無料
◆駐車場あり(無料)
◆外部サイト
https://www.taharakankou.gr.jp/spot/000046.html
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138737
◆お問合せ先
渥美半島観光ビューロー
[TEL 0531-23-3516]
◆2025年の情報であり、変更される場合があります。