奥山田のしだれ桜「持統天皇の思いを継いで」 [岡崎市] [花見特集]

美しさと大きさが際立つ(2025年3月29日撮影) 岡崎市・幸田町
美しさと大きさが際立つ(2025年3月29日撮影)
1300年の年齢を刻み、厳かにたたずむ(2025年3月29日撮影)
1300年の年齢を刻み、厳かにたたずむ(2025年3月29日撮影)

 ■奥山田のしだれ桜「持統天皇の思いを継いで」

  豊田市の市境近く、岡崎市北部の奥山田町に樹齢1,300年を超すとされるしだれ桜があります。高さ17メートル、最大枝張り約16メートル。丘の中腹にあり、見応えは抜群です。

 この桜は古来、持統天皇(645-703)がお手植えになったとされています。個人的には、こうした「神話的な逸話」が大好きです。なぜなら、そこに人々の思慕、共感、憧憬などの強い思いが横たわっているからです。
 来ていました、来ていました。確かに。続日本紀によると持統上皇は天皇退位5年後の702年の秋、伊勢から舟で御津(豊川市)に入り、約1か月をかけて三河、尾張を巡幸したとされています。
 岡崎に立ち寄った記録はないのですが、あってもおかしくないと考えます。なぜなら、というには弱い補強説ですが、持統天皇は本名を鸕野讚良(うののさらら)といい、この場合の鸕野は広い野原という意味だそうです。
 そう、岡崎市の北部と豊田市の南部には、この鸕野と読みが同じ「宇野」さんが大勢います。ある統計によると全国一の宇野さん集積地だそうです。
 補強説はまだあります。奥山田町からさして離れていない岡崎市岩津地区には6世紀後半に勢力を誇ったとみられる豪族の古墳がいくつか確認されています。
 鸕野讚良皇女が大海人皇子を助けて戦った壬申の乱では、尾張、美濃、三河の豪族らが大海人皇子の側についたことが勝因とされています。おそらく持統上皇が当時の労をねぎらい、謝意を伝えるとともに愛する孫の軽皇子(文武天皇)への協力を求めるのための行幸だったのでしょう。

 勇敢で愛情が深く義理に厚く、そのくせ謀略家で…。

 現地ではお手植えの桜ほか同じしだれ桜が数本、同じ敷地に生えています。こちらの「なぜ伐採しないの」の問いに地元の人はこう答えてくれました。「1番大きいのが最愛の息子の草壁皇子、次が軽皇子。あんたは切り倒せるかい」

「奥が持統天皇、手前が草壁皇子」と語る人も(2025年3月29日撮影)
「奥が持統天皇、手前が草壁皇子」と語る人も(2025年3月29日撮影)

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ちょっと寄り道


基本情報

◆〒444-2142
 愛知県岡崎市奥山田町屋下28

◆入場無料

◆駐車場なし

◆外部サイト
https://okazaki-kanko.jp/point/443

◆地域のご迷惑にならない様、より一層の配慮をお願いします。

◆お問合せ先
 岡崎市観光推進課
 [TEL 0564-23-6384]

◆2025年の情報であり、変更される場合があります。

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